小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 82 蚤の市」

こんばんわ!モンです

 

小林教授からドイツレポートが届きました

今回は「蚤の市」

 

さてさて成果は如何に???

それでは教授お願いいたします!

 

 

 

82 蚤の市

久しぶりの講演を終えて、ケルンから混乱するドイツ鉄道の網をかいくぐって帰って来るや、ライプツィヒの南西部にあるシュロイジッヒという街区に住む友人から緊急の電話が入りました。明日そこの蚤の市で娘の古着などを売る許可を受けたが、あいにく当の娘がいないので、ちょっと手伝ってくれるとありがたいと言います。

この娘の「代父」(参照71ゴッドファーザーの話)を自認してきた私としては断るわけにはいきません。蚤の市なるものにも好奇心が湧いて二つ返事で引き受けたものの、これが結構シンドかった。

 

まず朝8時前に指定された市電通り沿いの一角に陣取って衣類などを掛けるスタンドを設置し、そこに要らなくなった衣類、靴、バッグなどを陳列します。その間住まいと出店を往復すること2度3度。代父の使命とはいえ、年寄りにはいささかこたえます。

 

 

われわれの隣は本物かどうかわからないトルコ石の指輪やイヤリングを売る愛想のいいグアテマラ出身のオニーサン。在独16年、どうやらこの行商が本職のようです。

 

反対側は近くの集合住宅の子供たちが自分で作った細工や要らなくなったおもちゃなどを並べて小遣い稼ぎをやっています。

親や隣人仲間なども動員して、賑わいはここが一番。

 

面白いことに、ドイツでは昔から、このように子供たちが蚤の市に店を出す風習があります。遊びと社会学習を兼ねているのでしょうね。商売のシンドサを身をもって学ぶとともに、リサイクルの精神をそれとなく教えるためだと思われます。エコノミーとエコロジー。

近頃のポイ捨て社会では貴重な風習です。

 

じじつ、この地区は総じて若い子供連れの家族が多く、しかも普段からアパートの玄関口に、不要となった物品を並べているところが少なくありません。

うちでは要らなくなったから、だれか欲しい人があったら勝手に持って行っていいよということです。衣類のほかにも家具、食器、本などがよく出ています。

時には大きなソファーなども。

 

この間もある集合住宅の玄関口にちょっと大きめの皿が出ていたので、カレーライスを食べるのにちょうどいいと思い、もらってきました。

 

こういう地区はだいたい政治的にもリベラルで環境派の人たちが多く、僕の住む中央駅に近い繁華街とはかなり違っています。

 

 

われわれのスタンドにはもともとそれほどめぼしいものはなく、立ち寄る人もあまりいなかったのですが、12時を過ぎたあたりから交通遮断した交差点のところにアフリカの人たちが食べ物のスタンドを出し、その横でドラムがリズミカルになり始めたあたりから人通りもにわかに多くなり、ストリート・フェストの雰囲気になってきます。

われわれのところを覗く人も増え始めましたが、ほとんどはただヒヤカシだけです。

まったく商売っ気のない僕は街路樹の木陰のベンチに座り込んでのんびりと店番。

友人と交代で昼食に行ったりしながら、結局夕方の6時ぐらいまで店を出して、売り上げは何とたったの48ユーロ!ショバ代が25ユーロなので、利益は23ユーロ、途中で買った必要経費のパンとアイスクリームの代金を差し引くと、純益は15ユーロほどでした。

 

そのなかには可愛いアフリカ人の女の子がキーホルダーの代金に持ってきた、なけなしの小銭1ユーロ75セントも入っています。最初3ユーロの値段が付いていたので、親に言われたのか、あとでわざわざ1ユーロ持ってきたのですが、その律儀で愛くるしい態度にうたれた僕にはとてもその1ユーロを受け取る勇気はありませんでした。

夕方店の片づけを終え、ご苦労さん会で近くにある知り合いのイタリア・レストランに行って打ち上げ。一日中働いたせいか食事も美味しかったですが、ここで払った金額は60ユーロ。結局われわれは商売人には向いてないことが分かった次第です(笑)。

 

 

ところで、この蚤の市、近頃ではフリー・マーケットと一緒にされることが多いそうですが、本当の語源はflea market(蚤の市)で、free market(自由市場)とは別だそうですね。LRを区別できない日本人ならではの混同、僕も気が付きませんでした。ちなみにドイツ語ではFlohmarkt、やっぱり蚤です。

 

教授 本日も有難うございました

一日の売り上げ8000円は、なかなかなものですよ!

楽しいレポートでした!ウケました

 

写真を見ると日差しがヨーロッパの夏ですね

 

次回レポもよろしくお願いします