小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 57 廃墟に甦るダヴィンチ」

こんばんわ!モンです

 

本日はお詫びから・・

小林教授スミマセン、すっかりコラムアップ遅くなってしまいました

申し訳ございません。

 

読者の皆様は、教授のコラムじっくりとお楽しみ下さい

それでは、教授お願い致します。

 

 

明けましておめでとうございます。この言葉を何十年も繰り返して生きてきましたが、本当に「おめでたい」年はどれほどあったのか、ずいぶんと心もとないです。まあ、生きて来れただけでもよしとしますか。

というわけで、今年は元気づけにパッと華やかな話題から。

前に紡績工場跡が巨大なアトリエに変身した話を報告したことがありますが(37)、ライプツィヒの西部市街区にはかつて多くの工場や倉庫が建てられました。壁が破れて以降、それらがことごとく廃墟になったのですが、こうした土地や空間が往々にしてアヴァンギャルド芸術の発祥地になることは、ニューヨークやベルリンを見てもわかります。

先月ベルリンで観た吉岡由美子と関みな子の「TWO」と題する舞踏も、かつての職人工場跡をほぼそのまま残したDOCK 11という「劇場」で行われたものでした。吉岡さんは昔ミゼール花岡を名乗って東京でも踊ってましたが、その後はベルリン郊外を根城にいまや世界中あちこち飛んで回ってます。僕とはもう大方30年来の付き合いですが、本当によく頑張ってます。脱帽。

今回訪れたのは前の紡績工場跡の近くにあるKunstkraftwerkというところで、この名は発電所を意味するKraftwerkと芸術作品を意味するKunstwerkを重ねた造語です。「芸術作品を生み出す発電所」とでもいうことにでもなるのでしょうかね。事実ここは昔市電の電力を供給するために建てられた発電所の跡なのです。このセンス、面白いですね。

ここで今話題を呼んでいるのが、その巨大な廃墟を利用した「ルネサンスの巨匠たち」というヴィジュアル・パフォーマンスです。高さ8メートルの四方の壁と7千平米の床の上にダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの絵画がさまざまにカットされたり、組み合わされて、カンタータ風の音楽に合わせて動くという趣向です。知識が疎いので自信はありませんが、音楽は「カルミナ・ブラーナ」の一部などをコラージュして作られたもののようでした。

見られるように、画像は床にも映し出され、観客はその中に立ってあちこちを見回すことになります。これを企画したイタリア人グループのリーダー、ジャンフランコ・イアンヌッチは、普通の絵画展では観客は絵の「前」に立つのだが、一度観客を絵の「中」に立たせてみたいと考えたと言っています。確かに動く画像の「中」にいて絵を見ていると、普段とは別の感覚を味わうようで、とくに床が動き始めると、目まいがするほどでした。デジタル芸術はわれわれの知覚をも変えてしまうかもしれません。

興味深かったのは、普段あまり目を向けない絵画の細部がしばらく大写しになって、ああ、あの部分はそんな風に描かれていたのかということを知らされることです。モナリザを見てもたいていの人はあの顔を見て、その背景だの、衣装の襞にはあまり目を向けませんね。さらにダヴィンチの「モナリザ」がクラカウにある同じダヴィンチの「白貂を抱く女」と並べて映されたりするのも面白い。こうした組み合わせは他のミケランジェロやラファエロの作品間でも行われ、それを通してまた普段絵画展などで観るのとは別の印象を得ることができました。

実験的な意味で面白かったのは、このインスタレーションの製作スタッフが専門家たちのアドヴァイスを得て、絵の制作過程を推理しながら、それを再現してみせたことです。その工程を動く画像で表現したわけです。

最後の写真は言わずと知れた「最後の晩餐」。このスペクタクル絵画展の面白さを少しでも感じてもらえたら幸いです。

現代芸術は廃墟から飛び立つフェニックスというところ、まさに芸術は不滅ですね。

 

 

教授

本日も有難うございました!

アップ大変遅くなり申し訳ございませんでした。

完全に私のミスです・・・。

 

Kunstkraftwerkのデジタルアート展

シリーズで続く様ですね、来月からは

ゴッホ

コチラも凄そうです

 

そして

吉岡由美子(ミゼール花岡)さん

気になって調べてみたら舞踏をフランスに紹介した第一人者の一人ではないですか!

 

教授の交友関係の広さに改めて脱帽です

 

教授!本日も有難うございました!

 

関東は雪予報ですが

モチロン明日も営業中!