小林敏明教授の「ライプツィヒの街から 25 ヒュイの誕生日」

こんばんわ!モンです

 

寒いっすねぇコレ「成人式寒波」って言うの?言わない??雨雲あったら確実に雪になってますね昨年の「成人式の日」みたいに

  

そんな寒さでは東京に負けてはいないであろうドイツのライプツィヒ在住「小林教授」より新年1回目のコラムが届きました!

  

カンボジア人の少年と教授の寒さも吹き飛ばす、心温まる物語です。

「ヒュイの誕生日」まるで映画の様なタイトルではありませんか。

 

それでは教授!本日もよろしくおねがいします!!!

 

明けましておめでとうございます。

年末にひどいめまいに襲われて救急病院に運ばれましたが、どうやら大過ないようです。それにしても年々トシを感じさせられることが多くなりますね。

 

今回はそういう気分をいくらかでも和らげてくれる年始らしい話。

 

僕の隣はアジア・ショップ、食品を中心に食器、それに写真のような(いかがわしい)衣類などを売ってます。要するにこれも一種の雑貨屋さんなのですが、むろんOilifeほどエレガントではありません。

このショップ、経営はカンボジア人の男性で、奥さんはベトナム人、その間にできた一人息子の名前はヒュイといいます。

 

このヒュイ、普段は店が引ける8時ごろまで腹をすかせてひとり家で待っているのですが、ときどき僕を見かけると、このところ、そのクリクリまなこで「ヘル・コバヤシ」と言って話しかけてくるようになりました。

あるときパーティのために作った巻き寿司がちょっと余ったので、例によって家でひとりでいたヒュイにおすそ分けして食べさせたところ、これが大変気に入って、以来僕は彼に「巻き寿司プロフェッサー」として尊敬されているのです。

そのヒュイが年明けの1月4日、11才の誕生日を迎えたのですが、どうやらパーティに巻き寿司を食べたいらしく、両親がわざわざ僕のところまでやってきて、息子のためにぜひ作ってやってくれないかと頼みます。

米、海苔、寿司の子、醤油、わさび、冷凍刺身などは自分のところで売っているわけですから、後は技術だけということになり、ほかならぬヒュイのこと、快く引き受けました。

 

 

さて、当日出来上がりの寿司を持って誕生パーティに顔を出すと、予期に反して客はご覧のとおり大人ばかり(僕はドイツ人の子供の誕生パーティのように、子供たちが集まるものと思っていたのです)、席に着くやウォッカを振舞われ、あっという間に宴会ムードです。

僕は寿司を作った「ヒュイのお友だち」ということで紹介され、初めから親戚のような扱いです。皆さんあまりドイツ語はできず、僕はもっぱらドクターという人につかまって日本・ベトナム談義。

 

それにしても近頃ではあまり経験できない村祭りの晩のような気分を味わいました。機嫌よく声高に喋りまくる男性たちの酔った顔がいかにもアジア的でなのです。女性たちもパクパク食べながらよく喋りよく笑います。

 

残念ながらヨーロッパ人にはこういう表情や雰囲気を出すことができません。

それは飲む量が限度を超えるか超えないかのちょっとした違いであるような気がします。東アジアから南アジアにかけて人々は限度を超えるところまで飲み、そこに生じるちょっとした「無礼講(アナーキー)」を楽しんでいるふしがあります。

それがひとつの文化の型になっているわけですね。こういう場に入ると、僕などもつくづくそういう文化圏の人間であることを感じます。

 

ということで、主役のヒュイはもっぱらそっちのけの「誕生パーティ」、大半はベトナムの人ばかりでしたが、我がライプツィヒはアジア人というと、このベトナム人が圧倒的にドミナントです。

 

たとえば現在十件をこす市内の寿司屋のほとんどはベトナム人経営です。このパーティの客にもそういう人がいました。理由は簡単。壁が崩壊する以前に東ドイツ政府はベトナム戦争時から亡命ベトナム人を入国させており、その人たちが旧東ドイツ地域に住み続けているからです。西ドイツ地域が高度成長期に大量のトルコ人労働者を入れて、その人たちがそのまま残留しているのと好対照を成します。

 

僕は現在このアジア・ショップが扱う日本食品について無料相談役みたいなことをやっていて、コレを入れろ、アレを入れろといろいろ注文するのですが、それがよく売れるので信頼も高いのです。キューピー・マヨネーズ、お多福のお好み焼きソース、ブルドックのトンカツ・ソースなどもちゃんと入ってますし、味噌は五種類ぐらい入ってます。最近のお好み焼きソースの売れ行きはすごいですよ。みんな味を覚えたのでしょうね。

 

残念なのは清酒で、かつては八海山と天狗舞などというハイクオリティのものが入っていたのですが、例の福島の事故以来輸入がピタリと止まってしまってしまいました。これだけでも僕には充分な原発反対の理由になります。

 

それにしてもこのところ僕の周辺は、ベトナム、カンボジア、中国、韓国、インドといった国々を背景にした人々との付き合いが増えていくようで、これも異郷にあっての「アジア回帰」の一種でしょうかね。

ちなみに僕の現在の住まいはコリアン・レストランのオバチャンの仲介で、韓国キリスト教グループの旧集会場を譲り受けたものです(僕自身はクリスチャンではありませんが)。

 

こうなったら、いっそのこと「ライプツィヒ・東南アジア親睦共同体」でも立ち上げますか。アホのボッチャン首相や政治家が隣国の顰蹙を買っている、せめてもの償いにね。

教授!本日もありがとうございました!

「巻き寿司」美味しそうでしたよ、さすが「プロフェッサー」

 

写真の「わさび醤油」の横にある「エスニック風のソース」があるあたりがカンボジアやベトナムの方らしいですね!でもコレをつけて食べても美味しそうですね!

 

友人の「ヒュイ少年」にも宜しくお伝え下さい。

 

お身体にも気を付けて、本年もコラム楽しみにしております!!!