K教授の「ライプツィヒの街から 1」

こんばんわ!モンです!

いやースミマセン 昨日すっかりブログアップボタンをクリックするのを忘れておりました!今日は2本立てで、お楽しみ下さい! 昨日分は こちら から

 

しかも今日からは、ひさびさ「新コーナー」スタートです!!! タイトルは

「K教授の ライプツィヒの街から」

 

先日、一年ぶりに帰国した「ライプツィヒ大学」で教鞭をとる「K教授」に、

お忙しい中無理を承知で「ブログにドイツの事について書いて頂けませんか?」と

お願いしたところ、快諾を頂きました!!!(教授ありがとうございます!)

 

日本にいては分らないライブなドイツ情報を「K教授」に「ライプツィヒの街から」届けて頂きたいと思います!

 

それでは、教授!お願いします!

ライプツィヒの街から(1)

 

 ひょんなきっかけで、ここしばらく江古田の雑貨屋さんにコラムを書くことになりました。しかも、海を越えたはるかかなたのドイツはライプツィヒの街から。第一回目の今日は、自己紹介を兼ねてライプツィヒの街を少しだけ説明しておきましょう。

 

この街は20年ほど前までは東ドイツ、正式にはドイツ民主共和国に属する、いわゆる社会主義の街でした。だから私の勤める大学もついこの間までいかめしく「カール・マルクス大学」を名乗っていて、ゲバント・ハウスとオペラに面した本部棟の正面には巨大なマルクスのレリーフもかかっていました。いました、というのは、これがその後撤去されてしまったからで、大学の名ももとの「ライプツィヒ大学」にもどされてしまいました。いずれも壁崩壊後の時代には合わないというのでしょう。

 

これを残そうと運動した連中も、このレリーフを取ると建物が崩れてしまうから、というような情けない理由を言い張ったため、それならと建物もろとも解体され、代わってガラス張りのモダンな大学教会なるものに建てかえられてしまいました。この勝負初めから保存派には勝ち目がなかったようです。

 

         撤去された「カール・マルクス」のレリーフ

 

 

 

「マルクス」が出て来たところで「ライプツィヒの街から」続きは、また明日!

「K教授」ありがとうございます!

 

また、引き続き よろしくお願い致します!

おつかれさまでした!

 

皆様、明日も「ライプツィヒの街から」お楽しみに

いきなり「資本論」がとび出すかもしれませんよ!ワクワクします!